河川レポート

菩提川 ♪菩提日和 ぼだいびより♪

Ρ鄲池

2012年02月10日


 
  幾つもの源流を有する菩提川、その流れの一つである春日大社御神水は、「猿沢池」に流れていきます。猿沢池は、奈良公園にある周囲360メートルの池で、現在は猿沢池園地として整備され、市民の憩いの場となって親しまれています。
                           
 
 興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しく、「猿沢池月」として、その絵には采女祠・衣掛柳・月が描かれており、奈良八景のひとつとなっています。この3つは、その後も猿沢池を描く際には必ず付随するものとなっており、采女祠・衣掛柳・月が猿沢池の名物となりました。奈良八景とは江戸時代に発行された『大和名所図会』や『新撰大和名所往来』といった書物の中に南都八景として登場しました。南都(奈良)の景勝地8箇所を選び、「地名+景物」を題とした絵画・和歌・漢詩を作ったものです。(1)東大寺の鐘(2)春日野の鹿(3)南円堂の藤(4)猿沢池の月(5)佐保川の蛍(6)雲井坂の雨(7)轟橋の旅人(行人)(8)若草山の雪です。
                                           
  もとは、天平21年(749年)興福寺が行う「放生会」の放生池の為に、興福寺南花園に「佐努作波池」として築造された人工の池です。放生会(ホウジョウエ)とは、捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教儀式で、仏教の戒律である「殺生戒」を元とし、日本では神仏習合によって神道にも取り入れられました。
 名前の由来は、インドのヴァイシャーリー国の猴池(ビコウイケ)から来たものと言われています。猴の字義としては、尾の短い種類の猿をさしています。 
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 猿沢池の存在は奈良時代にすでに記録されています。「興福寺流記」には、「佐努作波池」あるいは「南花園四坊・在池一堤」とあります。平城京左京三条七坊の十六坪を占めた興福寺は、三条大路を挟んで南側の四坪分を花卉畑(かきばたけ:観賞用植物を栽培する畑)にしていました。池は、この花園の中にありました。
 御蓋山の南麓を水源にする菩提川(率川:イサガワ)は、飛火野の南を巻いて西へ下り、浮き御堂のある鷺池、奈良ホテル側に建つ荒池を満たし、猿沢池の南堤防の外側を河道にして池には流れ込まないが、管でつながっており、猿沢遊歩道から暗渠(下水)となって奈良市街を流れています。
 猿沢池は菩提川(率川)を塞き止めた人工池です。「出ず入らず」と称せられる猿沢池ですが、「出る」に関しては、池から菩提川へ排水口が設けられています。「入る」方は、北東の池底に土管が突き出ています。土管は三条通り五二段の西下にある枡に通じてます。枡には五二段の側溝から水が取り入れられるようになっており、菩提川へと流れていきます。もう一方は、飛火野を流れています、これは、一番の高所に沿ってくねる御手洗(ミタラシ)川です。御手洗川の水源は水谷川(吉城川)の月日磐の近くであり、ここで採られた水は春日大社の御神水となります。奈良ホテル側から、ならまち通りを横断し猿沢池、南側に管渠で流入して、すぐに猿沢池より流出し、菩提川へと流れていきます。
 春日の御神水は、飛火野と浅茅原の尾根筋の流路を流れます。この御神水は、興福寺へもたらされ、猿沢池に注ぎ落ちます。興福寺と春日大社の一体化を象徴するように、猿沢池は存在しており、特別な池として親しまれています。
                                           

 
 猿沢池の七不思議に「澄まず濁らず、出ず入らず、蛙湧かず藻が生えず、魚七分に水三分」と言うものがあり、1・澄まず、2・濁らず、3・出ず、4・入らず、5・蛙はわかず、6・藻は生えず、 7・魚が七分に水三分、というものです。
 猿沢池の水は、決して澄むことなくまたひどく濁ることもない。水が流入する川はなくまた流出する川もないのに、常に一定の水量を保っている。亀はたくさんいるが、なぜか蛙はいない。なぜか藻も生えない。毎年多くの魚が放たれているので増えるいっぽうであるにもかかわらず、魚であふれる様子がない。水より魚の方が多くてもおかしくないような池と言われています。また、1959年に七不思議に反して池の水が赤くなった時には、「この世の終わりだ」と大騒動になりました。
                                           

 
 猿沢池を聖域化したものに、釆女(ウネメ)伝説があります。これは十世紀半ばに成立した『大和物語』150段の説話に基づきます。奈良時代、天皇(帝)を思慕する采女が、一夜だけ帝からの寵愛を受けたが、再び召されることもなく、つらさに堪えかねて猿沢池に入水自殺をしたという話です。この霊を慰める為、祀られたのが采女神社の起こりと伝えられています。釆女社は池に背を向けるように建っています。理由は定かではありませんが、天皇が入水した池を見るのは忍びないと、一夜のうちに本殿が池に背を向けたとも、釆女の霊が池を見るのが辛いから池に背を向けているとも伝えられています。江戸時代中期の『奈良坊目拙解』には、この小祠はもとは興福寺別院の北東隅にあった(従って祠は西向きで、釆女に関係あったかどうかは分からない)が、在家に渡ってしまったため、東から出入りするようになり鳥居が建ったとあります。釆女社の存在が史料で確認できるのは、15世紀からで江戸時代初期に一時、社殿を東向きに建て替えたこともあったようですが、100年もせずに西向きに戻りました。采女の死を聞き知った天皇は猿沢池に行幸して、歌を詠んみました。”猿沢の池もつらしな吾妹子がたまもかづかば水ぞひなまし”(猿沢の池までも恨めしくて仕方がない。いとしい乙女が池に身を投げて水中の藻をかつ(被)いだ時に、水が乾けばよかったのに)「日本古典文学大系『大和物語』」、10世紀中頃に成立した『大和物語』に始めて登場し、『枕草子』に取りあげられ、第三十五段に、”猿沢の池は、采女の身投げたるをきこしめして、行幸などありけむこそ、いみじうめでたけれ”お供した柿本人麿が詠んだという歌もあります。”わぎもこのねくたれ髪を猿沢の池の玉藻とみるぞかなしき”(このいとしい乙女の寝乱れた髪を、猿沢の池の藻として見なければならない事は、本当に悲しいことだ)「日本古典文学大系『大和物語』」謡曲『釆女』の題材にもなった伝説です。スキャンダルと美談が重層した物語であるが、1000年の命脈を保ち、池の東の堤にある石碑は次のように刻まれています。「悲恋の采女と衣掛柳の伝説」『昔平城の帝に仕う奉る采女あり、顔かたちいみじう清らにて人々よばひ、殿上人などもよばひけどあはざりけり。そのあはぬ心は帝を限りなくめでたきものになん思ひ奉りける・・・云々』(大和物語より)そのとき衣を掛けたのが衣掛柳といわれています。
                      

 
 采女祭りは、毎年、9月の仲秋の名月を選んで催され、王朝を偲ばせる幻想的なお祭りです。釆女祭では、月明りのもと幽玄な雅楽が演奏される中、秋の七草で飾られた2mあまりの花扇をはじめ、花扇使、ミス釆女、ミス奈良を乗せた龍体船、管絃船(龍頭(りゅうとう)・鷁首(げきす)の2艘)の船が猿沢池をめぐり、最後には花扇を池中に投じます。
                      

 
 猿沢池には龍が棲むという伝説もあります。謡曲『春日龍神』は、「龍神は猿沢の、池の青波、蹴立て蹴立てて、其の丈千尋の、大蛇となって、天にむらがり、地に蟠りて、池水を覆して、失せにけり」と結ばれる。春日龍神は水神として深く広い信仰を集めてきたが、その舞台が猿沢池であり、さらに春日奥山の竜王池でした。また、釆女と龍神の二つの伝承については、「ふたつはもともと同根で、古代の聖者と聖女の関係が終焉を迎えるとき、聖女は入水して龍体と化し、その龍はやがて鎮魂の祈りをこめて神として祀られました。仏教では弁才天となります、つまり、聖女が龍となり、さらに弁才天に昇華するのですが、ここではそれが釆女なのです」とも言われています。龍は采女が身を投げたため、死穢を嫌い、春日山の香山(コウゼン)に移り住みました。しかし、後にこの場所にも屍を捨てる者が出始めたために、室生の竜穴(リュウケツ)に住まいを移したという伝説が伝えられています。春日山の鳴雷神社のわきに、雨乞いの池「龍王池」が今も残っています。古くから、猿沢池は竜宮に繋がっているとされ、竜が住み水神信仰のある池です。芥川龍之介の小説「龍」は、猿沢池から雲を呼び雨を降らせながら龍が天に昇ったという伝説を素材にしています。 
                       
 その他の猿沢池にまつわる言い伝えとして、奈良県大淀町には、興福寺の僧に恋をした娘おいのが身を投げたといわれる「おいの池」があります。伝説ではおいの池と猿沢池は地中でつながっており、身を投げたおいのの笠が猿沢池に浮かんでいたと伝えられています。
 明神池の大蛇と言う昔話には、こうあります「行者が大峰山に入りました、すると大蛇が現れ、行者はこれを高下駄で3つに踏み切り、錫杖(シャクジョウ)ではね飛ばした。頭は熊野の有馬の池に、胴は北山の明神池に、尾は奈良の猿沢池に落ちました。そこで、有馬の池、猿沢池ではもちろんだが、ここ明神池でも不思議なことがありました。ある時、物好きな男が、池に船釘(フナクギ)を投げ込むと龍が出現すると聞き、船釘一貫匁(カンモンメ)(約4kg)を投げ入れました。すると、物凄い黒雲、雷鳴とともに池の中から大蛇が現れ天に昇った」と伝えられています。    
                                                          


  アクセス
 近鉄奈良駅の南東約400m(JR奈良駅の東約650m)、近鉄奈良駅前の三条通り東端。奈良の中心市街地・通称“なら町”の北。

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