河川レポート

菩提川 ♪菩提日和 ぼだいびより♪

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2011年08月25日




 菩提川(率川)は下水道化された地下を流れて、地上に残る率川橋(跡)の下を通り、やすらぎの道を横断します。昔、菩提川に架かっていた傳香寺橋のあった場所、そこに傳香寺(伝香寺)はあります。
  伝香寺(デンコウジ)は、鑑真和上の弟子の思託(シタク)律師により宝亀2年(771年)に開創された「実円寺」が起源と伝えられていますが創建の正確な時期・事情は定かでなく、以後中世までの沿革も定かではありません。その後、荒廃していましたが天正13年(1585年)に戦国武将の筒井順慶の母・芳秀宗英尼が順慶の菩提を弔うために再興し名前を「傅香寺」と改め筒井家の菩提寺としました。現存する本堂はその時のものです、本尊は「釈迦如来坐像」(像高60.6cm、1585年作)で、豊臣秀吉が発願した京都・方広寺の大仏(焼失)のモデルでもあります。
 寄棟造・方三間の本堂は、国重要文化財に指定されています、「地蔵菩薩立像」(像高97.3cm、1228年作)、(重要文化財)が安置されています。これは鎌倉時代に一部流行した裸形像で、別名・裸地蔵(ハダカ地蔵尊)とも呼ばれ有名です。一糸まとわぬ奈良三裸形の1つで普段は着物を着て(裸形着装[らぎょうちゃくそう])、日夜裾が切れるまで人々を救済するので、別名「裾切れ地蔵」とも呼ばれています。通常は非公開ですが、椿の季節となる3月の日曜祝日と、3月12日「地蔵菩薩特別開扉」と7月23日「御更衣法要(地蔵会・着せ替え法要)」に衣の着せ替えが行われ、例年この期間のみ一般拝観が出来ます。大和地蔵十福霊場巡りの地蔵参拝は、予約不要で午前9:00〜午後4:00までとなっています。
 また、昭和25年に地蔵の胎内から、ガラス製の舎利壺や、共に木彫りで2cmの「薬師如来」と10cmの「十一面観音」等が出て来ました。胎内納入品の願文により、安貞2年(1228年)の年記が認められ、比丘尼妙法、唯心らによって発願された春日社の本地仏であることが判明しました。元は興福寺延寿院の本尊であり、像内納入品のガラス瓶、小仏像等は一括して重要文化財に指定されています。
 なお、木造聖徳太子(南無仏太子)立像、表門は奈良県指定文化財に指定されています。木造聖観音立像(像高113cm。平安時代中期、10世紀頃作)は昭和4年(1929年)重要文化財(当時の国宝)に指定され第二次大戦後、民間の所有となり、現在は京都市・細見美術館の所蔵とされています。
 境内にある椿は”東大寺開山堂の「糊こぼし」”、”白毫寺の「五色椿」”と並び「奈良の三銘椿(サンメイチン)」の一つとして知られる一つです。椿は花全体がポトリと落ちる様が「首が落ちるようだ」と嫌がられたりしますが、この椿は色鮮やかなまま、桜の花びらのように花びらが一枚づつ散ってゆく様で、散る潔さ、その美しさから、若くして亡くなった筒井順慶になぞらえ、その魂を弔うため芳秀宗英尼が自らの手で寺に植えたもので「武士(モノノフ)椿」とも呼ばれる"散り椿"が有名です。この「散り椿」は、芳秀宗英尼が植えたものが最初ですが、それはすでに枯死しており、現在は三代目・四代目が植わっているそうです。


近鉄奈良駅の南南西約450m(JR奈良駅の東約700m)、近鉄奈良駅の西を南北に走るバス通り(愛称・やすらぎの道)を南へ、東西道路・三条通りとの交差点(上三条町交差点)のすぐ南。奈良の中心市街地・通称“なら町”の西。

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